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鼻の手術

 中学2年の夏休み、現在、日銀岡山支店が建っている場所にあった日赤病院で副鼻腔炎の手術を受けました。上の唇をひっぺがす野蛮な手術の恐怖は半世紀経っても忘れられるものではありません。

 手術を受けた日の深夜、私は病室で突然洗面器一杯ぐらいの大量の血を吐いてしまいました。鼻から出ていた血をすべて呑み込んでいたのです。病室の床は血の海と化し手もつけられない惨状でした。

 付き添っていた母が大慌てで看護師を呼んだり吐瀉物の後片付けをしていたら、中庭を挟んだ向かいの病棟の人が「主人が危篤で安静にしていないといけないのに、なにを夜中に灯りをつけて大騒ぎしているのか」と文句をつけてきました。

 母はそのときの屈辱を生涯忘れたことはなく、いつも思い出しては怒っていました。「うちの子こそ大量の血を吐いて死にかけていたのに…」。

 私自身は胃が空になったらすっきりして、気分もよくなったのですが、母には日赤病院そのものがトラウマになってしまったと同時に、私にはますます甘い母親になりました。

 2学期になって中間試験のあと父兄面談があって、母は担任から「息子さんにはもう少し本気で勉強に取り組むよう親御さんから指導してください」と言われたらしい。

 母は、「お言葉ですが、息子は大病をやっと乗り越えた身、生きていてくれさえすればそれでいい、成績の善し悪しなど問題外です、と申し上げたら先生あきれていたわ」といかにも楽しそうに語ってきかせてくれました。

 子供のころ成績が良かった兄には「東大以外、大学ではない」などとプレッシャーをかけていた母も私にはこうるさいことはいっさいなし。血の海と化した鼻の手術のおかげです。

本誌:2008年6.16号 12ページ

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