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ゴディバのストーリー

 ゴディバは昨年卒寿を迎えた。ゴディバのホームページによればゴディバは1926年にベルギーの首都ブリュッセルの中心、グラン・プラス広場でピエール・ドラップスにより創業された。4人の子供たちジョゼフ、フランソワ、ピエール、イヴォンヌも加わるファミリー・ビジネスである。1937年父の逝去後子供たちがこの会社を引き継ぎ発展させた。 

 1946年に伝統のゴディバのトリュフが発売された。高級食材のキノコのトリュフに形が似ているのでこの名前がある。ロンドンの同業者のシャボネル・エ・ウォーカーのホームページによればチョコレートのトリュフは著名なシェフのオーギュスト・エスコフィエが偶然に創ったと述べられている。しかし、世界にチョコレートのトリュフを広めるのにゴディバは貢献し、筆者もゴディバのトリュフが大好物である。

 ジョゼフと妻のガブリエルは1945年に社名をファミリー・ネームのドラップスからゴディバに変更した。このゴディバの名前はイギリスのコベントリーのレイディー・ゴダイヴァ(英語ではゴダイヴァと読む)の物語に由来する。ゴディバのチョコレートのシンボルマークは馬に乗った髪の長い裸の女性である。レイディー・ゴダイヴァとは正にこの女性のことである。

 レイディ・ゴダイヴァの物語は1043年に生まれた。日本は平安時代の末期の頃である。イギリス北部の町コベントリーの領主はレオフリック伯爵であり、彼の妻がレイディー・ゴダイヴァである。レオフリック伯爵は、コベントリーの領主に任命され、この小さな町を豊かで文化的な都市へ発展させようと意気込んでいた。信心深かったレオフリック伯爵とレイディー・ゴダイヴァは、修道院を建設した。次々と公共の建物を建て、同時に領民から取る税も増大した。レイディー・ゴダイヴァは伯爵に税を引き下げるよう頼んだ。伯爵は「もしおまえが一糸まとわぬ姿で馬に乗り、コベントリーの町中を廻ったら、税を引き下げよう」と提案した。翌朝、果敢にも彼女は一糸まとわぬ姿で馬に乗り町を一巡した。領民たちは彼女の姿を見ないように、窓を閉ざし敬意を表した。伯爵はレイディー・ゴダイヴァの願いを聞き入れ税を引き下げた。

 この物語にはオチがあり、領民の中で一人だけこっそりとレイディー・ゴダイヴァを覗き見た人物がいる。これが「覗きのトム(ピーピング・トム)」という人物であり、トムという名前の男性はこのことでからかわれることがある。

 ゴディバはレイディー・ゴダイヴァの「勇敢さ」「寛容さ」「パイオニア精神」や「深い愛の心」を会社のエトス(経営倫理)としている。1972年日本橋三越への出店により日本上陸を果たした。

 ロンドンの中心地をメイフェアと言う。このメイフェアにとても美味しい広東料理の「ZEN」というレストランがあり、ロンドン駐在時代オフィスから近いこともあり贔屓にしていた。残念ながらこの店は今はない。当時世界の皮膚科の権威であるマルコム・グリーブズ教授とこの店で食事をしながらイギリスの皮膚科の現状などについてご教示いただいたことがある。食事の終わりにこの店ではゴディバのチョコレートが出される。グリーブズ教授はそのチョコレートの馬に乗った髪の長い裸の女性を示しながら、前述のレイディー・ゴダイヴァの物語を教えてくれた。ゴディバのチョコレートは知っていたが、その名前の由来までは知らなかった。イギリスも日本と同様歴史が長く深い。レイディー・ゴダイヴァのこのストーリーは約1000年もの間イギリスやヨーロッパで語り継がれ、今後も語り継がれていくことだろう。

 キャンベル・スープは1966年のゴディバのアメリカ出店を支援した。その関係からゴディバは長くキャンベル・スープの傘下にあった。2007年12月21日のロイターの記事によればキャンベル・スープはゴディバを8億5000万ドル(約970億円)でトルコの食品企業であるユルドゥス・ホールディングスに売却した。ゴディバの売り上げは約5億ドル(約570億円)と報じられている。

 親会社は変わったが恐らくゴディバは1000年後も世界のチョコレート業界の雄としてレイディー・ゴダイヴァの物語と共に語り継がれ繁栄していくに違いない。

本誌:2017年4.3号 19ページ

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