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書き残しておきたい岡山ゴルフ史(1)

 生きているうちに、岡山のゴルフの歴史を書き残しておこうと思う。ボクがゴルフを語るとは意外と思うかもしれないが、岡山でゴルフが普及し始めた頃からの事情をよく知っている人は、次々と物故者となったので、ボクの記憶を基に記しておきたい。遠い昔のことだから、事実関係が前後していたり、間違っている部分があるかもしれないが、お許しの程。

 岡山のゴルフ場の発祥は、霞橋の高梁川河川敷に始まる。9ホールの小さなゴルフ場で、牛が放牧されていた。時にはコース内に入り、ボールが当たることもあった。当時のメンバーは、岡山ガスの岡崎真一郎さん、河田脳病院の河田大作先生、星島睦郎さん、京橋にあった鬢付け油専門店の「丁字香」の佐藤さん等々、錚々たる旦那方であった。池田徳三郎さんなどは、まだチンピラ組だったと思う。

 やがて、倉敷の帯江銅山の跡地に本格的なゴルフ場が開発された。進入路の側面には、銅を抽出後の塊が積み上げられ、かつての銅山の面影を残していた。まだハゲ山で、クラブハウスの位置から倉敷市を一望できた。松林もうっそうとはしていなかった。ここも9ホールからスタートした。

 大先輩の河田大作先生に連れられて、ここに行った。「これからは、家族共々楽しめるカントリークラブを創るのだ。ゴルフに取りつかれると、奥さんはゴルフ・ウイドウ(ゴルフ未亡人)になる」と説明してくれたのを覚えている。

 大作先生の奥様の述懐も楽しかった。先生はゴルフにうつつを抜かし、病院経営など奥様任せだ。奥様の苦労は大変だったらしい。奥様は意を決し、ある日ゴルフから帰ってきた先生に、「ちょっとそこに座りなさい」と言って切々と病院の窮状を訴えた。先生は神妙に聞いていると思いきや、「そりゃそうと、あの時のパットはどうして外したのだろう」と言われたそうだ。「あの時ばかりは、もう離婚しようかと思いました」と、後々ボクに話してくださった。

 最初の18ホールは、確か玉野のゴルフ場だったと思う。役員には、ボクが親しかった旭タクシー創立者の大賀さんや歯科医の半井(なからい)さん、外科医の沖君らがいた。彼らはボクにゴルフを勧め、確か10万円で会員権を分けてくれたと思う。

 しかし、ボクが実際にクラブを握ってゴルフを始める手ほどきをしてくれたのは、今は亡き辻静夫君だった。県の出納長だった青井小太郎さんが退職後、自分の地元を開発し、桃の郷ゴルフ場を創立した。地の利も良く、18ホールのゴルフ場ということで大繁盛だった。

 そこへ辻君がボクを連れて行ってくれた。ボクは何分素人だから、恥ずかしくてコースに出るのをためらっていた。すると、「早朝誰もいない時に回れるよう手配する」と言って引っ張り出された。

 朝霧でしっとりした見渡す限りグリーンのゴルフ場は、ボクの目には別天地の如く素晴らしく思えた。そこで初めてプレーしたことは今でも覚えている。

 スコアはハーフ70~80台だったか、とても数えられたものではなかったが、それからゴルフに興味を持った。

本誌:2007年9.24号 26ページ

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