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「球児」という言い方に異議あり

 先ほど第99回全国高校野球選手権大会が終わりました。にわか広島広陵ファンになった私は大量得点差をつけられてもどこかで反撃するだろうと期待しながらテレビ観戦しましたが残念。しかしPLの清原の記録を抜くすばらしい活躍ぶりを見せた中村の怪物ぶりにはマスコミも大興奮、連日いい試合をありがとう。

 ところで高校野球の選手のことを昔からなぜ「球児」と呼ぶのでしょう?「児」とは児童という言葉があるように子どものことを指します。小学生は児童ですが中学生になれば生徒と呼ばれます。少年野球ならいざしらず、全国高校野球大会の選手ともなればどの選手も面構えといい、試合後のインタビューの受け答えといいもう立派な大人です。

 ところがマスコミは、とりわけ県大会レベルの練習や試合を報道するとき、ほぼ例外なく「球児たちの夏を追う」みたいな決まり文句で報道します。「球児」という語感から受ける印象は「素直、ひたむき、純粋、ストイックな練習に励む少年たち」といったところでしょうか。

 逆に「野球のことしか頭にないスポーツバカ、勉強はともかくグランドで朝から晩まで汗水流していれば万事OK」といった、ちょっと彼らを見下したニュアンスさえ含まれているような気がします。

 こんなことを言うと「球児」だけでなく「時代の寵児」とか「日本男児」、「九州男児」などといった用例があるとご指摘を受けそうです。しかし「寵児」はもともとは特別かわいがられた子どもという意味から派生した言葉です。日本男児とか九州男児のイメージは男らしい男です。しかるに策略や謀略とは無縁の「当たって砕けろ」しか能がない人というニュアンスが隠れていませんか。

 用例はともかく、甲子園のどの試合を見ても選手は常に策略にたけたストラテジストであり完成された人間という感じがします。彼らは球を追いかけるだけの子どもではありません。では野球選手を何と呼べばいいのか、というと単に「選手」でいいと思います。高校総体の選手はすべてそう呼ばれています。

 ついでながら、甲子園の場内アナウンスで選手名を呼ぶとき「~君」という伝統があります。これにも私は名状しがたい違和感を覚えます。選手を君付けする組織っていったい何様なの?姓の呼び捨てでOKでしょ。

本誌:2017年9.4号 13ページ

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