WEB VISION OKAYAMA

連載記事

エルメスのストーリー

 東京の山手線の一つの車両の中に何人の乗客がエルメスのブランドのバッグを持っているだろうか。そもそもエルメスのバッグを持つ人が満員電車にのるのはふさわしいのだろうか。欧州のエルメスのバッグの愛用者たちはかなり違和感を持つに違いない。鈴木ルミ子著の主題の本はヴィトンやエルメスなどのファッションがブームになった時代への警鐘として書かれたものである。鈴木氏は「モノ」と「コト」の違いという思想を著書の中で述べている。要は単なる「モノ」を所有することではなくて、エルメスを持つことによりいろいろなシーン(「コト」)で「エルメス」が相応しい女性になって欲しいというのが著者の切なる願いなのである。

 戸矢理衣奈著書の『エルメス』によればエルメスの創業は1837年に遡る。創業者はティエリ・エルメスという。パリのランパール通りに馬具の工房を創った。これがエルメスの歴史の始まりである。当時交通の主流は馬車であった。機能性とデザインに優れた馬具で評価を高めて行った。ナポレオン三世による1853年からの第二帝政の時代には皇帝御用達の馬具職人となる。1867年の万国博覧会では銀賞を獲得した。戸矢氏が主張しているように皇帝御用達の認定と万国博覧会での入賞はブランドのストーリーづくりに大きな影響を持った。ルイ・ヴィトンも万博での入賞が契機になっているし、虎屋は皇室に密着することでブランド価値を高めた。

 エルメスが馬具だけのカテゴリーに留まっていれば今日私たちが知るエルメスというブランドは存在していないことは想像に難くない。社会の主要な交通手段は馬車から鉄道、車、などへと変化を遂げていった。一部の社会のエリート達から熱烈なエルメスの馬具への需要はあったにせよ、エルメスが馬具だけに拘泥していれば間違いなく今日の繁栄はない。エルメスは1892年に鞄の「サック・オータクロア」を発売し大成功を収める。1923年にはファスナーを取り付けた最初の鞄である「ブガッティ」を発売する。1950年代にはエルメスのアイコンともいえる「ケリー」バッグに結びつく。もう一つの革新的イノベーションはスカーフである。捺染印刷による鮮やかなシルクのスカーフの誕生である。筆者は横浜の捺染によるスカーフの再復活に関係したことがあるが、この印刷技術では40色もの色が重ねて刷られてできる。この技術はフランスから横浜に伝えられ、浮世絵の技術とブレンドされ完成したものである。

 既にコルベール委員会については触れたが、エルメスはこの委員会の中枢の役割を果たしている。第二次世界大戦の荒廃の中でフランスの産業の再構築のためにゲランの社長であったジャン・ジャック・ゲラン氏により1954年に創設された。それぞれのブランドの品質とイメージを保持し世界展開を図ることを目的としている。戸矢氏によればコルベール委員会加盟ブランドの海外売上高は76%にもなるという。フランスのアール・ド・ヴィーヴル(生活美学)の世界的普及を目的としている。クール・ジャパンのキャンペーンに代表される日本文化の普及もフランスに遅れること60年であるが、日本文化を普及させることが日本ブランドの成功につながることは間違いない。

 ここで、フィリップ・コトラーの4つのブランド戦略の中のライン拡張とブランド拡張に触れておきたい。既存市場において既存ブランドで製品ラインを広げることで売り上げ拡大を図る戦略がライン拡張である。既存市場において確立されたブランドを別のカテゴリーで展開することにより売り上げ拡大を図る戦略がブランド拡張である。エルメスはこのブランド拡張を上手に展開してブランドの確立とポジショニングを確立したと言える。

 一つのカテゴリーで強いブランドができるとその知覚品質に基づいてブランド拡張が可能となる。消費者の抱いている品質を相互に補強することができれば、非常に強固なブランドとなる。正にエルメスはその成功例と言える。

本誌:2016年12.5号 19ページ

PAGETOP