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連載記事スローライフ~午後4時の窓辺から~

吉備の中山

 岡山市北区庭瀬と南区妹尾のちょうど真ん中あたりにある我が家の台所に立つと、北向きの小窓のかなたに吉備の中山が優美に横たわっているのがよく見えます。この山の麓(ふもと)にはともに吉備津彦命を主祭神とする吉備津神社と吉備津彦神社がわずか2km足らずの距離をおいて鎮座していることに対し「何故?」と思われる方もおられるでしょう。

 実は吉備津神社は備中国に属し、一方、吉備津彦神社は備前国に属し、それぞれ桃太郎神話でも名高い吉備津彦を祀っているというわけです。したがって備後の国にも吉備津神社がありますが、こちらは現在の広島県福山市という遠隔の地にあるので岡山県人にはあまりなじみがない存在ではないでしょうか。

 さて吉備の中山は標高100mほどの原生林に覆われた丘陵でハイキングにぴったりです。先日、宮島の弥山にケーブルカーで登り、帰りは歩いて下山した結果、両足のふくらはぎや太股がパンパンに硬直してしまい、岡山に帰ってきても痛みが取れません。それをほぐすためには歩くしかないと考え、なだらかな吉備の中山を散策してみました。

 頂上付近には太古から存在したであろう巨石(八畳岩、鏡岩など)がところどころあり、中にはストーンヘンジのような人工物を思わすもの、「ダイボーの足跡」という不思議な名前がついた窪地などがあり、散策していて飽きることがありません。山の北面から下山していると突然、藤原成親(なりちか)遺跡に出くわしました。

 藤原成親(1138-1178)は後白河院の寵愛を受けて権大納言にまで登り詰め、「芙蓉の若殿上人」と言われた貴公子だったのですが、いわゆる「鹿ヶ谷の陰謀」事件の首謀者のひとりと見なされ、この備前の国のうらさびしい土地に配流され、惨殺されたということです。遺跡にはまるで成親の怨霊を封じ込めるかのような石組みが設けられていて、平安時代末期に起きた大事件の現場感がいまも濃厚に漂っています。

 吉備の中山には吉備津彦の陵墓といわれる中山茶臼山古墳、岡山県古代吉備文化財センター、黒住教本部など見所がいっぱいです。コロナで地理的な移動ができない今、想像力と文献を頼りに歴史を遡る旅だけは何の制約もありません。そういう意味では岡山県は古代から近現代に至るまで歴史のワンダーランドですね。

本誌:2021年2月8日号 13ページ

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