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連載記事杉山慎策の経営学考察

上杉鷹山3

 ジョン・コッターの変革理論においては、第一に「危機意識を高めること」が大切であり、第二に「変革推進のためのチームを作ること」が重要であると主張されている。鷹山が如何に天才でもたった一人では何も成し得ない。1767年(明和4年)に鷹山は大倹令を発令し、自ら率先して質素倹約を実践した。しかし、名門上杉120万石の歴史の中に留まり、現実を直視しない多くの反乱分子たちがいた。他藩から来た若き藩主に対する反発は尋常ではなかった。このような中で、鷹山にとって子飼いのチームの結成は最重要課題であった。

 この役目を果たしたのが藁科松伯の家塾であった青莪館で学ぶ若きエリート達であった。江戸家老の竹俣当綱や莅戸善政なども青莪館で学んでいた。彼らは若き藩主に上杉藩の未来を委ね改革の重責を担うことになる。俊才の誉れ高い藁科松伯は私塾で若きエリートたちの教育にあたる以外に、重定の侍医から鷹山の侍医になっていた。また、鷹山はこの青莪館で藁科松伯の紹介により生涯の師である細井平洲にも出会うことになる。

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本誌:2020年3月2日号 17ページ

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