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連載記事杉山慎策の経営学考察

行動経済学とシャープのブランド論1

 ブランドの創造に果たすストーリーの役割を述べてきた。閑話休題。この項では少しブランド理論に立ち返りたいと思う。最近翻訳されたバイロン・シャープのブランド論に触発されたからである。

 サイエンスは健全な批判から生まれる。独立行政法人日本学術振興会は2015年2月に「科学の健全な発展のために ―誠実な科学者の心得―」という提言を発表した。これはスタップ細胞などをめぐるデーターの捏造に対して科学者のあるべき姿についての提言をまとめたものである。その中で「科学者の自由な研究」と「科学者の健全な批判」の重要性が述べられている。アルフレッド・マーシャルの新古典派経済学に対して1950年から60年代に出現した行動経済学の考え方は、従来の経済学が想定していたすべての情報を把握し完全に理性的に行動する消費者の存在を批判したものである。

 癌の手術をすると仮定しよう。仮に20%死亡する可能性のある場合、「この手術は20%の死亡の可能性があります」というより、「この手術により80%の生存の可能性があります」と言った方が、受け入れやすい。これを「フレーミング効果」と言う。同じように、飲み会の費用が一人3000円、4000円、5000円の3つのメニューがあると仮定する。大多数の人はコストとメニューの内容を慎重に検討することなく真ん中の4000円を選ぶことが知られている。人は必ずしも神様のような合理性に基づいて日々行動している訳ではない。行動経済学は一人一人の消費者の実際の行動を丹念に調べることを基本としている。

 コカ・コーラの伝説的マーケッターであるセルジオ・ジーマンによって書かれた本である。1999年に”The End Of Marketing As We Know It Today”として発売された本が2000年に和訳された。伝説的なCEOであるロベルト・ゴイズエスタの下でマーケティングの責任者をしていた。ニューコークで失敗をしたが、ダイエットコークで成功し、スプライトのリポジショニングでも成功を収めた。この本で、彼はマーケティングの目的は何なのかを端的に述べている。彼は、
①マーケティングの目的は、より多くの商品を、より多くの人に、より高い頻度で、より高い価格で販売すること、
②マーケティングは科学であり、
③消費者の調査を綿密に実施してブランドを構築すること、
④グローバル・ブランドも結局はローカル・ブランドが出発点であること、
⑤従って地域に密着したマーケティングをせよ
等と主張している。小気味の良い説得性のある本で、最初に読んだ時に感動を覚えたものである。今日でもその価値は全く失われていないと思う。是非一読をお勧めする。今回のバイロン・シャープの「ブランディングの科学」を読んだ時にセルジオ・ジーマンを思い出した。同時に、シャープのアプローチは行動経済学と同じように、コトラーを頂点とするマーケティング理論に対抗し、言わば行動マーケティング論のような新鮮さを持っている。

 ブランドを創り上げるためにはマーケティングを丁寧に実施する必要があることは当然である。シャープはコトラー等のマーケティングを「実証に基づかない憶測や迷信である」と切り捨てている。確かにコトラーなどの理論は新古典派経済学の完璧な消費者、つまり、市場のすべての情報を持ち、神の如く合理的に判断する消費者を前提としている。シャープはそのような絵空事の消費者ではなく、調査し限りなくエビデンスに基づくマーケティングを展開すべきであると主張しているのである。

 古代ギリシャ人であるヒポクラテスは、人は4種類の体液からなり、そのバランスが崩れると病気になるという理論を構築した。紀元前4世紀頃の理論である。その後この理論はヨーロッパ・中東で検証されることなく信じられてきた。病気になると血液を抜く瀉血が18世紀まで実施されてきた。シャープは多額の広告費や安売りなどのマーケティングはこの瀉血と同じであると厳しく切り捨てている。

 筆者が日本でもマーケティングが最も得意とされる企業から著名なグローバル企業に移って一番びっくりしたのが新製品や新しい広告の効果を定量的に計測することであった。正直発売前に売上を正確に予測することは夢だと思っていた。現在フランスの調査会社イプソスに吸収されたノバクションのモデルなどは、日本企業からグローバル企業に転職した筆者のような者にとって驚愕のモデルであった。当時のノバクションの日本の責任者はその後同志社大学に転職した。筆者もその後立命館大学で教えることになり京都で再会することとなった。不思議な縁を感じる。

本誌:2018年夏季特別号 33ページ

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