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文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(下)

 熊本で転んで内蔵を損傷した可能性があるのにもかかわらず、先生はJR職員の心配をものともしないでそのまま新幹線に乗り込み、岡山駅まで帰ってきて駅に待機していた救急車で病院に運ばれました。泰然自若の老病人とハラハラしっぱなしだったであろうJRの車掌さんの困惑した顔が目に浮かびます。

「何度もピーク」

 普通の人間にとって“人生のピーク”と呼べる時期は一度切りではないでしょうか。我々凡人にとっては、あこがれの大学に合格したとき、社会人になってばりばり活躍したころ、家庭を築いたとき……あとで振り返れば「あのころが我が人生最良の日々だった」と思える時期は何度もありません。

 ところが西郷先生の長い生涯には私生活においてもいくつもピークがあったものと想像されます。「想像される」というのは、先生の関心は常に今現在と未来にあり、過ぎ去った遠い昔のことなど自ら語られることはほとんどなかったからです。

 「先生はソ連抑留時代もロシア美人にもてもてだったに違いない」、「どうやら今まで何度も結婚し、子どもの数も片手では収まりきらないらしい」とは、私が牛窓の「てれやカフェ」のマスター、ヒロシ君と今はなき先生を偲んでひそひそ語るたわごとですが、実際、西郷先生の人生は波瀾万丈だったようです。

 お亡くなりになる前の何カ月かは病院で過ごされたのですが、さしもの頭脳明晰な先生でもときには意識が混濁することがあったようです。ある日見舞いに訪れたヒロシ君に先生は言いました。

 「おい、ヒロシ、おれは今殺し屋に追われている、隣の部屋にいるあいつだ。今夜おれは女を連れて逃げる。そこでお前に頼みたいことがある。ありったけの逃走資金と車を用意してくれ」

 「女」というのは最後の日まで病院でお世話になった若い看護師さんのことなのか、それともシベリアの雪原のかなた、国境線を目指して先生といっしょに国外脱出を企てるロシア人美少女ナターシャかアナスタシアか?

 「内部にたくわえられたマグマ」は先生の長い生涯の最後の瞬間まで灼熱のエネルギーを放出し続けたのです。すばらしき哉! わが師西郷竹彦先生 合掌

本誌:2017年7.10号 12ページ

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