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フランク・ミュラーのストーリー

 2020年に東京でオリンピックが開催される。日本では二回目となるオリンピックである。一回目のオリンピックは1964年である。NHKのプロジェクトⅩをまとめた書物である『逆転 田舎工場 世界を制す』によれば、従来スイスの時計メーカーに制覇されていたオリンピックでの「時」の記録を日本のセイコーが獲得した記念すべきオリンピックであった。

 「優秀とされたオメガの時計がほとんど機械式であったことに目をつけ、セイコーはクオーツで勝負すべきだと考えていた。(313㌻)」

 セイコーはオリンピック後の1969年に腕時計サイズに縮小したクオーツ時計「アストロン」を発売する。その後セイコーはこの自社開発のクオーツ時計の特許を公開するという手段に出て、時計のクオーツ化を狙った。この煽りを受けてスイスの従来のメーカーは苦境に陥る。オメガ、ロンジン、ラドーなどはスオッチのグループに入る。カルティエ、ダンヒル、ボーム&メルシエ、などはリシュモンのグループへと再編されていく。機械式時計の多くのパーツメーカーも再編されていった。1970年におよそ9万人いた時計産業の従事者は1985年には3万2000人まで落ち込んだ。企業数も1970年に1600社だったものが現在は600社程度に減少している。正にクリステンセンの言う「破壊的イノベーション」が世界の時計産業を変革したことになる。

 フランク・ミュラー社のホームページによれば、彼は1958年スイスのラ・ショード・フォンで生まれる。幼いころから時計に興味のあった彼はジュネーブ時計学校において3年で学ぶ過程を1年で習得し、数々の賞を受賞した。著名なコレクターやミュージアムから希少な時計の修理を依頼されるようになる。1983年複雑な機能を腕時計に組み入れることにチャレンジし超複雑時計を発表した。1992年に自分の夢をかなえるべく自社を創業した。ジュネーブから近い小さな村であるジャントゥに「Frank Muller Watchland」はある。彼は「Watchland」を時計のための「桃源郷」として位置付けている。この「Watchland」で複雑なムーブメントが着想され、設計され、実際にプロトタイプが制作される。フランク・ミュラーはクオーツが時計の主力となる中で、機械式時計に拘る最先端のブランドとして位置付けられている。高性能な品質と革新的なデザインは世界のセレブをうならせるものばかりである。

 1992年に発売されたのがキャリバー92である。これは毎年デザインを変え2000年まで継続されている。1996年フランク・ミュラーのアイコンとでもいえるミニッツリピータートゥールビヨンが発売された。2000年にはロングアイランドビーレトロセコンドが発売された。また、2003年にはクレージーアワーズが発売された。

 1970年からタグ・ホイヤーの代理店をしていたワールド通商がタグ・ホイヤーの自社進出に伴い、新たな高級ブランドの時計を探していた。1997年新たな高級ブランドとして展開し始めていたフランク・ミュラーの日本の総代理店となった。最初にオープンした店は銀座の和光であり、1億円の広告投資をたった一店だけのために実施し、結果として一週間で1億円の売り上げを上げるような成功を収め、フランク・ミュラーのブランドが一挙に国内で広がっていった。フランク・ミュラーはヨーロッパのその他の老舗ブランドと比べて歴史が浅い。本年が創業25周年である。このためワールド通商はブランドの認知のために修理にも力を入れており、銀座の一等地に修理工房を設けている。前述のスイスの「Watchland」をお手本にしたものである。日本をブロックに分けそれぞれのブロックにフラッグシップの店舗をおくという典型的なプレステージ・マーケティングを展開し成功を収めている。岡山ではトミヤがその代理店である。

 若者が車を買わなくなり高級時計を購入することが増えている。フランク・ミュラーの平均価格は高級車一台に相当する。前述のロングアイランドは日本語に敢えて訳すと「長嶋」となり、長嶋監督が愛用している時計と言われている。エルトン・ジョンなど世界のセレブも愛用者である。セレブと言われる富裕層は世界人口の74億人の1%と考えれば7000万~8000万人である。それをターゲットにしてブランドを世界展開しているところにフランク・ミュラーの強みがある。プレステージ・マーケティングでは一国だけでなく世界中の市場で統一の取れたイメージで展開する必要がある。

本誌:2017年6.5号 19ページ

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