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震災20年(下)

 阪神淡路大震災のころのことを振り返ってみて、当時決定的に欠落していたのは正確な情報と情報伝達システムだったと思います。

 昔から「関西では巨大地震は起きない」という神話がまかり通っていて住民はもちろん行政当局も直下型地震を想定していませんでした。地震のあと専門家達がこぞって「阪神間に大きな活断層があることは地質学の常識だ」などとしたり顔で解説していて本当に腹がたちました。

 今の若い人達には信じられないことでしょうがたった20年前の日本には携帯電話もインターネットもなかったのです。地震の発生が東京の首相官邸に伝わり政府が動きだしたのは地震が起きてから数時間も経過してからでした。

 それでも当時、日本を含め欧米先進国の大学や大企業にはインターネットの先駆けとなっていたコンピュータ・ネットワークがあり研究者は自由に情報をやりとりしていました。マスコミの報道からはよく分からない神戸の最新の情報はこのネットを経由して全世界に伝えられました。

 ネットには掲示板があり、「神戸の親戚と連絡が取れない。マンションもすべて倒壊しているのか?」などという切実な質問が多数ありました。私は自分の目で見た被害の概観を短くまとめて発信しました。「神戸が消えてなくなった訳ではない。倒壊した家屋の多くは老朽木造建築であり、新築家屋や高層マンションは基本的には無事である」と報じました。この報告はすぐにネットで共有され多くの人から感謝されました。

 2015年の現在、情報処理、伝達の仕組みは神戸当時とは比較にならないぐらい進化を遂げています。しかし2011年東日本大震災とともに発生した福島原発事故ではせっかくの情報が住民の避難に適切に活用されませんでした。

 避難地域をコンパスで描いた同心円で区別し半径10㎞、20㎞というぐあいに避難勧告や立入禁止措置を定めていました。放射能の影響が原発から同心円で拡散することはありえません。原発から西北方面に位置する双葉町、浪江町、飯館村方向に積算被爆量が甚大であったことは当初からSPEEDIや外国の研究機関の報告から明白だったのにずっと後まで行政は同心円で対応していました。肝心の情報を小出しにしかしない不幸な情報大国日本です。

本誌:2015年2.9号 12ページ

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