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老婆との夕食

 先日4年ぶりに知り合いのフレンチレストランに出かけました。カウンター席でかなり高齢のおばあさんが1人夕食を食べていました。シェフのお母さんかと思って話しかけたらお客さんでした。

 こうして見知らぬおばあさんとの夕食が始まりました。もっともすぐ隣に座るのは遠慮しイスふたつ空けて座りましたが。老婆のご主人は97歳で近くの病院で過ごしているそうで、彼女は毎日そのレストランで昼食と夕食をとっているそうです。

 「常連なのでほかのお客の顔はみんな知っているけれど、男の人の顔は一度見れば絶対忘れないのに女性の顔は覚えられない。これは私が女だからだと思う。ところが毎日ご飯を作ってくれるここのマスターの顔だけは、家に帰ってから思い出そうとしてもどんな顔だかどうしても思い出せない。呆けが始まっているのだろうか?」と私に聞きます。

 私はちょっと考えてから言いました「呆けの正反対でしょう。特定の人のイメージが結ばないというのは脳の中で複雑な情報処理がなされているからでしょう。感情の選別と選択的記憶ができるということは頭脳明晰な証拠です」。それにしても話の内容がちょっと謎めいています。いったい若いころ何をしていた人なのか職業を尋ねてみました。

 「私も主人も生涯一度も働いたことがありません。親からもらった株の配当金で生きてきました」。岡山にも鳩山兄弟のような優雅な人が戦中戦後の厳しい時代にいたのですね。世間など気にもせずに生きてきた強いオーラが彼女の全身から立ちのぼっていました。

 お客がみんな引き払ったあとシェフに「上品な方ですね」と言ったら、意外にもシェフは「そうですか?」と彼女の上品ならざるひととなりを聞かせてくれました。ちょっとかなわないなあと思っているようです。

 そこで初めて冒頭のおばあさんの質問の謎が解けました。毎日食事を作ってくれるシェフではあるけれど心の中では「品のないバアサン」と思っている……そうした複雑な気持ちが無意識に作用して「顔が思い出せない」のでしょう。この老婆のすべてが現役の女性なのですね。

 色気、食い気、お金に対する執着が実り豊かな人生をまっとうする秘訣であることを、私はこのスーパー婆さんから学んだ気がしました。

本誌:2014年6.2号 12ページ

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