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父の愛

 韓国のフェリー沈没事故は事故発生から3週間以上が経過しているのにまだ行方不明者の捜索が続いています。大震災の被災者でもないのに寒々とした体育館でわが子の帰りを待っている家族があわれです。なぜ家族にせめてホテルの部屋を用意しないのか、船会社や政府の冷たい仕打ちにはあぜんとするばかりです。

 日本でも痛ましい水難事故がありました。新潟の海辺で遊んでいた子どもたちが引き波にさらわれ、助けようとした若者も水死しました。“水は怖い”ということを大人は子どもに徹底的に教えなければならないと思います。小さな子どもが波の高い海岸で遊んでいるところを大人は目撃もせず、注意もしなかったのでしょうか。

 昔と違って現代の日本の風潮として、よそ様の子を注意したり叱ることは極めてしにくい雰囲気があることはよく分かりますが、いったん水難事故が起きたら失うものがあまりにも大きいものです。

 私は岡山市郊外の周囲に田んぼや小高い丘、池や川がある自然豊かなところで育ったのですが、父(96)は決して子どもが池で泳ぐことは許してくれませんでした。「池の底はすり鉢状になっていて急に深くなる。川よりもずっと危険」と力説していました。父は水辺だけでなく子どもが喜びそうな食べ物にも警戒心を怠ることがありませんでした。

 昭和30年代、小学生のころのことです。毎年七夕になるとふだんあまり人気のない妹尾(岡山市南区)の町に夜店がずらっと並び、イカ焼きのいいにおいが通りにあふれます。ところがこれも父に言わせれば「不潔この上ない代物」で食べると赤痢になると真顔で力説し、その迫力に負けて一度も買い食いできませんでした。

 子ども心にそんなことを気にもしないよそのお父さんをうらやましく思ったりもしたのですが、実際、夏休み中に小学生が古井戸に落ちて死んだり池でおぼれ死ぬということがありました。大きなニュースになることも、親が行政や学校に責任を転嫁することもなく、小さな遺体には粗末なコモがかけられていました。赤痢が大流行したこともあります。

 子どもの悲しいニュースを聞くたびに水難事故や食中毒、感染病から私を守ってくれた父の愛を遅ればせながら感じるこのごろです。

本誌:2014年5.19号 15ページ

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