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連載記事

永瀬隆さん

 岡山県に住んでいる人はだれでも一度ならず永瀬隆さん(92)の名前をテレビニュースや特番を通して聞いたことがあるかと思います。永瀬さんは太平洋戦争末期、陸軍憲兵隊通訳としてタイに滞在し、映画「戦場にかける橋」のモデルとなった泰緬鉄道の過酷をきわめた建設現場に立ち会った人です。

 永瀬さんは戦後倉敷で英語塾を経営しながらその後の人生すべてを贖罪に費やしてきました。昨年だったと記憶していますが超高齢になり体力も弱った永瀬さんが最後のタイ訪問をする様子をドキュメンタリー番組で拝見しました。

 私もタイにはよく行きますが、バンコク以外あまり遠出をしたことがなくクワイ河にかかる鉄橋とはいったいどんな橋なのか1度は見てみたいと思い、先日訪タイしたおり橋があるカンチャナブリに行ってみました。

 「戦場にかける橋」は映画で見たシーンから私が勝手に作り上げたイメージ、つまり急峻な山あいの深い峡谷にかかる橋とはおよそ違って、幅広いよどんだ川にかかるのどかな鉄橋でした。欧米人始め各国から来た観光客が三々五々橋を往復しながらビデオカメラで戦跡を撮影していました。

 橋のたもとには屋台やレストランがひしめくなか記念館があり日本軍が残した備品が多数展示されていました。蒸気機関車や軍用オートバイなどに混じって歯科の診療台が2台あったところを見ると、カンチャナブリが日本軍にとって重要な駐屯地であったことがしのばれました。

 しかし、博物館としては手入れが行き届かず展示品の劣化が激しいのが気になりました。また何万とも言われる捕虜の生活と死を解説したパネル等も貧弱かつ資料性に乏しいもので、こういうことにこそ日本のODA資金をつぎ込むべきだと感じました。

 永瀬さんは戦後ずっと1個人として奨学金を現地の子供に提供し、今では立派な看護師になった女性たちから「お父さん」と慕われているそうです。永瀬さんにとって贖罪と現地慰問がライフワークになってしまったのは悲しいことですが、戦争にちゃんと向き合ったことで幸せな人生をつかんだ人という気がします。

 ちなみに永瀬さんのことを帰国後父に話したら、小学校時代のクラスメートだったとのことでそれにも私はびっくりでした。

本誌:2011年1.24号 12ページ

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