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汗入(あせり)

 岡山市南区妹尾の県道児島線沿いに汗入という場所があります。私立の進学校、岡山中学・高校があり登下校時には生徒や送り迎えの車でごった返しいつも若やいだ気(き)があふれている地区です。

 ところが50年前私が小学生だったころは本当に寂しい場所でした。生ごみの集積場があったのですが、当時ごみは処理されることなくただそこに野積みされているだけで悪臭が漂い、視界が真っ黒になるほど蝿がわいていました。

 ここの蝿は追い払って逃げるような生やさしい代物ではなく、雨の日傘をさしてそこを通ると蝿が何十匹も傘にへばりついて家に着くまで逃げていきません。そのうえ未舗装の県道を走るトラックが砂煙をあげ砂利を跳ね飛ばして通り過ぎていくのが幼い私には大変な恐怖でした。

 この付近、江戸時代には処刑場があったとかで、今でも岡山中学・高校の校門近くを流れる妹尾川にかかる小さな橋には「地獄橋」というおどろおどろしい名前が刻まれています。罪人が渡るその橋の向こうには地獄が待ち構えていたことは今でも何となく雰囲気で分かります。

 数ある歌舞伎の演目の中でも傑作中の傑作「東海道四谷怪談」をこの夏新橋演舞場まで2回も見に行きました。海老蔵、勘太郎、獅童ら豪華俳優陣によるすばらしい舞台でしたが、クライマックス「砂村隠亡堀の戸板返し」の場を見て妙なデジャビュ(既視感)に捕らわれました。

 「隠亡堀」などという気色の悪い川で釣りをする伊右衛門(海老蔵)の眼前に戸板にくくり付けられたお岩さん(勘太郎)の遺体が流れ着きます。伊右衛門があわてて戸板をひっくり返したら今度は小平(という男)の死体が!

 この場面は戸板の裏表に張り付けられた男女の遺体の役を同じ役者が一瞬のうちに早変わりで見せる四谷怪談最大の名場面ですが、私には「砂村隠亡堀」が汗入の地獄橋のイメージに重なって震え上がりました。

 最近、その近くにおしゃれなカフェができ、けさ初めて寄ってみました。開店まもないピカピカの店になぜか蝿が一匹。しばらくして私のテーブルに止まりました。「そうか、お前はここで私を50年も待っていてくれたのか!」となつかしい蝿にあいさつしました。

本誌:2010年11.8号 24ページ

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