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心霊写真

 秋田の児童殺害事件は、畠山容疑者が自分の娘の殺害を自供するに至って、事件発生直後から近所の人や週刊誌が予想した通りの展開になってきました。

 しかし、警察が早々と娘の死を事故と断定したこと、それに対し容疑者が異議を唱えた謎、さらに近所の小1男児まで殺害した理由は依然謎のままで、まるで霧の中で幽霊を見ているような事件です。

 事件発生以来、連日マスコミが映像を流し続ける容疑者の言動を見ていて、不思議な違和感というか距離感を感じました。

 複雑なレトリックを駆使した独特の言い回しは、巧妙であればあるほど娘の喪失を悲しむ感情が希薄で、そこに全く焦点があっていない不可思議さ。一体何?

 ところがマスコミが、ご丁寧にも彼女の小学校時代の文集を探し出して放映したことで、容疑者の存在感のなさの本質部分が分かったような気がしました。

 小学校時代のあだ名が「心霊写真」だったのです。小学生の観察眼の鋭さと子供特有の残酷さには驚かされます。存在しているのに存在していないと見なされていた子供時代。彼女の幼児に対する怒りや憎しみ、命に対する鈍感さの源流は自身の子供時代にあったのではないでしょうか。

 中学校時代の同級生も「同じ高校に進学したけれど、彼女がいたことなど全く気付かなかった」みたいな発言をしていました。思春期も「心霊写真」状態で過ごしたようです。

 何はともあれ、このような大人の犠牲になった幼児は哀れ。平成12年、遅ればせながら日本でも公布された「児童虐待の防止等に関する法律」は、「発見した者全てが児童相談所等に通報の義務がある(要旨)」と定めています。

 近隣住民が虐待を見聞きしながら放置した責任も重いと思います。

本誌:2006年7.24号 10ページ

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