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連載記事杉山慎策の経営学考察

ニクソン・ショック

 筆者はロータリー財団の奨学生としてアメリカ留学の機会をいただき、今日があるのはこの留学のおかげだと何度かこの稿で述べてきた。過日外部の講演会で西野智彦氏のお話を聞く機会をいただいた。52年前の日銀の金融政策についてのお話であった。筆者のアメリカ留学の時期にぴったり当てはまる。今から振り返ると戦後の世界の経済システムの変革の時期に留学していたことになる。再度当時の様子を西野智彦氏の名著『通貨失政』を参考にしながら振り返りたいと思う。

 第二次世界大戦後の世界の経済体制は1944年に合意された「ブレトンウッズ協定」により守られてきた。各国の為替レートを固定し、ドルが基軸通貨となり金との交換をアメリカ政府が保証するものである。日本円は1㌦360円という破格の安値で固定された。ちなみに、ドイツのマルクは1㌦4.2㍆であった。敗戦した両国の復興のため、輸出を促進する大きなハンディキャップを与えられたことになる。

 筆者は1971年の7月に生まれて初めて飛行機に乗った。機種は空の貴婦人と言われたDC-8だった。ホノルル経由でロサンゼルスに向かった。戦後の留学生には肺炎が多いので、大きな胸部レントゲン写真を持って飛行機に乗り込んだ。ホノルルで通関や入国手続きをすませたが、残念なことにだれ一人この写真を見てくれる人はいなかった。最終的にスーツケースの奥に入れ大学院の寮の部屋で処分した。

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本誌:2023年9月4日号 19ページ

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