WEB VISION OKAYAMA

連載記事杉山慎策の経営学考察

山内容堂5

 東洋は土佐藩の沿岸警備を強化した。実際に今日の高知県を車で動いて見ると分かるが、高知県は中国地方で言えば兵庫県の端から山口県の東部近くまでの東西に距離の長い沿岸を所有している。東洋はこの沿岸の警備のために、郷士や地下浪人(じげろうにん)を動員することを決めた。地下浪人とは元は40年以上郷士の身分であったものが、郷士身分を他者に譲り浪人となって地域に居住しているものを指す。

 西部の宿毛(すくも)から柏島(かしわじま)までを家老山内太郎左衛門(やまうち・たろうざえもん)、小満目(こまめ)から鈴浦(すずうら)までを幡多郡奉行所、与津浦(よつうら)から野見浦(のみうら)までを高岡郡奉行所、久津浦(くずうら)から新居浦(にいうら)までを深尾鼎(ふかお・かなえ)が、仁ノ村(にのむら)から長浜(ながはま)までは土佐郡奉行所が担当した。中部の浦戸・種﨑・仁井田の三浦は輪番で家老三組に任せ、十市(とうち)は中老一組が、東部の前ノ浜(まえのはま)から手結(てい)までは香美郡奉行所が、和食浦(わじきうら)から大山浦(おおやまうら)までは家老五藤主計(ごとう・しゅけい)が、それより以東唐浜(からはま)から甲浦(かんのうら)までは安芸郡奉行所が担当した。土佐藩の長い沿岸の警備の人数が足らず、安政元年(1854年)には民兵制度がしかれた。

 警備のためには武装を強化する必要があった。嘉永六年(1853年)には鋳砲場を設けて大砲の製造に取り組み、嘉永七年(1854年)には島津に人を派遣して反射炉や大砲製造の技術を習得させた。

 土佐藩の武隊の近代化のために佐久間象山(さくま・しょうざん)の弟子である蟻川健之助(ありかわ・けんのすけ)を招き洋式訓練を実施した。長崎にも人を派遣し蒸気船の模型を製作し、築地で洋式帆船の操船法を伝習させた。

会員申し込みはこちらから

本誌:2022年1月1日号 99ページ

PAGETOP