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レクサス

 1968年に創業された消費者調査の会社にJDパワーという会社がある。多くの業界の消費者調査を手掛けているが、別けても、自動車産業の信頼性や耐久性などの調査で有名である。この調査でトップの地位を20年以上も維持し続けている自動車ブランドがある。それが「レクサス」である。レクサスは1998年に米国でトヨタから発売されたブランドである。意図的にトヨタの名前を出さずポルシェ、BMW、ベンツなどの欧州の高級車と戦うための戦略ブランドとして発売された。驚くことに発売後最初にJDパワーにより評価された1990年の第4位と、2010年の第4位以外はずっと1位を維持し続けている。日本の「モノヅクリ」のシンボルと言ってよいブランドである。

 レクサスが発表しているプレス情報(Lexus Chronology 2015)によればレクサスは1984年にShoji Jimbo と Ichiro SuzukiをプロジェクトのトップとしてF1プロジェクトを立ち上げたのが始まりである。F1の意味はトヨタを代表するFlagshipのラグジュアリー・カーを作り上げるプロジェクトであると説明されている。どのような調査をしてもパスする世界で断トツの高級車を作り上げる意図があった。筆者の長年の友人の故三浦英康君からも生前凄いプロジェクトがあり車内の静けさなど100項目以上の調査でトップだと話を聞いたことがある。もちろん守秘義務があるので当時それがトヨタのプロジェクトで対象がレクサスだとは全く知らなかった。

 筆者がアカデミックの世界に初めて足を踏み入れた東京海洋大学(もちろん当時は水産講習所であるが)の卒業生に東郷行泰という人物がいる。米国トヨタ自動車の会長をした人物である。彼は三井物産に勤務したり、レーサーになったりしたが、その後トヨタに入社販売で実績を上げ、タイ、カナダの責任者からアメリカの責任者に抜擢された人物である。アメリカでのトヨタのイメージは先行するホンダや日産の後塵を配しベンツ、BMW、ポルシェなど欧州の高級車とは比較にならないような地位に甘んじていた。東郷は1983年のトヨタの創業50周年を意識して世界に冠たる高級車を作り上げることを提案した。東郷の本によれば役員全員反対で、仮にそのような車ができても、トヨタにその車を販売する能力があるのかということまで問われた。それにめげず東郷はこのプロジェクトを粘り強く説得し、50周年を祝った後にF1プロジェクトが立ち上がった。車のデザインをする人たちにわざわざニューヨークに来てもらい毛皮のコートを着た貴婦人たちがどのように車に乗り降りをするのかを実際に見学させたりした。アメリカの富裕層は運転手付きの車ではなく自分で運転する人が多い。当然夫人は助手席に乗る。レクサスの名称はコンピューターで創り上げた造語である。1989年1月のデトロイトの自動車ショーで発表する予定であった。その直前に「レクシス」(LEXIS)という商標を持っていたオンライン会社がトヨタを商標侵害で訴えたのである。東郷は腹をくくりそのまま「レクサス」で押し切った。結局裁判では二対一で勝つことになる。

 レクサスの販売のためにトヨタの販売ルートを活用するのではなく、全く別のレクサス独自の販売ルートを作り上げた。その神髄は茶道に代表される「オモテナシ」の心である。日本では新車の購入者に3年間無料で24時間365日ネットでのサービスが受けられる。東郷が意図したものが今日まで生きているということなのであろう。

 東郷は小型飛行機が趣味であった。カナダからのアメリカ赴任も自分で操縦して赴任した。また、アメリカ国内の出張も自らの操縦でアメリカ全土を飛び回った。退職後世界一周の単独飛行を実現している。トヨタ時代レクサスの発売後にトヨタに飛行機事業に乗り出すべきだと進言をしたのも東郷である。残念ながらホンダに先を越された感があるが豊田章男社長の指導の下でトヨタらしい飛行機事業に乗り出してほしいものである。

本誌:2017年11.6号 19ページ

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