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虎屋のストーリー

 『虎屋の五世紀』という社史によれば虎屋の創業については奈良時代という説や虎屋の創業者は中国からの移民だという説もある。一応、同社のホームページでは室町後期に京都で創業したとされている。あまりにも歴史が長い企業なので明確な設立時期は確定できないのかもしれない。虎屋は日本の企業で最も歴史の長いブランドの一つであることは間違いない。1571年に即位し1617年に退位した後陽成天皇の御代には御用商人として索餅(唐から日本に入り七夕に食べる素麺の祖)を献上していたことが文献に残されている。同社のホームページではこの文献に基づき1501年から歴史が始まったように記載されている。奈良時代に創業されたという説を取れば、奈良で創業し、794年の平安遷都の時に京都山科に移り、その後京都一条に店を構えるようになったということになる。また、屋号の虎屋の「虎」は歴代店主が崇めた毘沙門天への信仰と関係がある。いずれにしても皇室御用達ということが虎屋にとっては非常に重要である。

 欧州でも王室御用達はブランドにとって特別の意味を持つ。虎屋は正にその御用達を大事に守り育てたところに今日のブランドの源泉がある。1754年の禁裏御用商人のリストには285社の名前がありその中に虎屋も入っている。顧客リストの中には徳川光圀や備前藩主池田綱政などの名前が残っている。これらのパトロンには饅頭や和菓子など特製の名菓が届けられた。明治2年(1869年)に政府が東京に移され、皇室の転居に合わせて東京に出張所を設け東京進出の足掛かりとした。虎屋の売り上げの半分は御所からの注文によるものであり、皇室と共に本社を移動させることは理にかなっている。

 虎屋を代表する商品のひとつは、小倉羊羹『夜の梅』である。羊羹としての最初の記録が残っているのは1819年である。この原料には小豆、寒天、黒砂糖などを使用したと記されており、煉羊羹としてつくられていた。虎屋は3000種類以上の和菓子を持っており、最高の品質の材料で最高の和菓子を提供し続けてきた。国内だけではなく1980年にはパリ店を、1993年にニューヨーク店をオープンし海外でも日本文化の象徴と言える和菓子の普及に果敢に挑戦している。筆者もパリ出張の度にフランスの有名ブランドが並ぶファッションの通りであるフォーブルサントノーレから少し中に入ったパリ店でお茶とお菓子をいただき、ほっとした時間を過ごしたことを覚えている。第17代当主の黒川光博社長によれば、変えてよいものは「味」であり、変えてはいけないものは「お客様に対する感謝の気持ち」であるという。「味」は時代時代で少しずつ変化しているものであり、時代に合わせることが大切なのである。しかし、マーケティングの基本である「顧客第一主義」を経営の中核に置き、伝統と革新を継続し続けてきたことに虎屋ブランドの繁栄の基礎があると言える。

 虎屋の創設を1500年ではなく伝承されている奈良時代からと考えれば虎屋は日本の権力者の象徴である皇室をブランド戦略の中枢に置き、長年に渡る荒波を乗り越えて繁栄を維持してきたことになる。第一の変革の時期は794年の平安遷都で奈良から京都に本拠地を移した時期と考えられる。戦国時代将軍は織田→豊臣→徳川と変遷したが、皇室は依然として京都にあった。第二の変革の時期は明治維新である。1869年に皇室が東京に移ると拠点を東京に移した。第二次世界大戦後の混乱の中でも皇室の地位は維持されてきた。虎屋はこの皇室と密着に結びつくことでブランド化を維持発展させてきた。ブランド戦略ではイメージの高いところから普及させていく戦略のことをトリクルダウン戦略という。イメージが低いところから高いイメージに上昇させることは通常不可能である。これをトリクルアップ戦略という。ブランド戦略においてはトリクルダウン戦略を基本とすべきである。

本誌:2016年11.7号 19ページ

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