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ルイ・ヴィトンのストーリー

 ブランド戦略で頻繁に取り上げられるルイ・ヴィトンは内田和成氏の『物語戦略』でも最初の物語として取り上げられている。ルイ・ヴィトンは世界中のMBAの学生たちが学ばなければならないブランドの筆頭であることは間違いない。

 長沢伸也氏の著書『ルイ・ヴィトンの法則―最強のブランド戦略』ではコストに拘わらず「卓越した品質の製品」「こだわりの品質の製品」「物語のある製品」を求めたことがその成功の要因であると結論している。このルイ・ヴィトンはどのように誕生したのであろうか。

 ポール・ジェラール・パソル著の『ルイ・ヴィトン華麗なる歴史』という分厚い本がある。この本によれば1821年にフランスの山奥のアンシェの農家に生まれたルイ・ヴィトンは13歳の時に近くの大都市であるリヨンではなくパリに向かって旅立った。ヴィトン家は農業の傍ら指物師、大工などをしていたので子供の頃からモノ作りを見て育った。ヴィトンとは「硬い頭」つまり「石頭」のことを意味する。あちこちでいろいろ修行を重ねたルイ・ヴィトンは16歳でパリに到着した。彼は荷造り用木箱製造兼荷造り職人のマシャル氏のアトリエに見習いとして雇われた。金持ち階級の人々の旅行用の鞄や宝石箱などは当時全てオーダーメイドであった。

 ルイ・ヴィトンはこのアトリエの経験を生かし、1854年に自身の名前を冠したルイ・ヴィトンの店(メゾン)をオープンすることになる。これが今日のルイ・ヴィトンの始まりである。このメゾンの掲げたスローガンは「どんなに壊れやすいものでも確実に梱包します。モードの梱包専門」というものである。創業当時から品質への拘りに一貫性が見られる。

 ルイ・ヴィトンの時代、主要な交通手段は馬車であった。舗装されていない道路がでこぼこ道であったことは容易に想像される。従って、どんなに揺れても壊れない頑丈なトランクが必要とされた。輸送手段はこの後鉄道へと変化する。イギリスで公共鉄道が開始された1825年から鉄道は1830年代になりアメリカ、フランス、ドイツなどへと拡大し、主要な交通手段となった。同時に大型船舶で大西洋を横断する旅行も普及してきた。

 ルイ・ヴィトンはこのような時代展開の中で、木製のトランクに代わり「グリ・トリアノン」のキャンパス生地を使用したトランクを発売しヒット商品となった。ポプラ材でできた木枠のトランクは他社に真似されるほどの成功をおさめた。1875年には衣装を入れるためのワードローブ用のトランクも発売された。女性用のものにはハンガーがついたものもあり到着後そのまま洋服掛けとして活用され大人気となった。

 ルイの息子のジョルジュの代に入ると無地のキャンパス生地から赤とベージュの模様の入った「ダミエ・キャンパス」のトランクを発売し模倣品への対抗手段とした。ジョルジュは父のルイのLとヴィトンのVを組み合わせたロゴも考案した。今日私たちの知っているルイ・ヴィトンは息子のジョルジュにより完成されたと考えてよい。

 交通手段はこの後飛行機に移り、ヴィトンは「マル・アエロ」を発売する。大西洋を横断したチャールズ・リンドバーグはアメリカに戻る前にヴィトンのトランクを2つ買い求めたことが記録に残されている。リンドバーグはアメリカでのヴィトンの広報役を果たした。

 このように時代の大きな変化の中で最高品質の製品を作り出すことでルイ・ヴィトンのブランドは世界のラグジュアリー・ブランドのアイコンとなった。戦後豊かな社会の到来の中で、シャンパンのボトルを5本入れることのできるモノグラムの革製の「ノエ」の発売によりファッションの世界でも圧倒的支持を得ることになった。ルイ・ヴィトンのブランドはガストン・ルイ・ヴィトンからクロード・ルイ・ヴィトンの時代に引き継がれ、ブランドは確立することになる。

 大きな社会変化の中で強いブランドとして生き残るためには社会の変化に合わせて革新し続けなければならない。ルイ・ヴィトンは馬車→鉄道→船舶→飛行機というような大きな変化の中で時代に合わせた製品を作り続けてきた。メーカーの思いだけで作り続けることはある意味簡単かもしれないが、最終的に世の中で受け入れられるかどうかは消費者が決める。当然のことであるが選ばれないブランドは市場から撤退を迫られることになる。創業以来の「卓越した品質」を守りながら新しい時代に合わせたイノベーション(革新)を続けたことに今日の繁栄の基礎がある。

本誌:2016年10.10号 21ページ

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