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日本の唱歌

 自宅で寝たきりで生活している母は、意識はあるものの感情を表現することも私の呼び掛けに反応することもありません。手足を自発的に動かすことはもう何年も前からできず、かろうじて動きがあるのは眼球ぐらいのものです。

 私が想像するに母は無限の時間を退屈しきって過ごしているに違いありません。そんな母にとって一番の慰めは懐かしい音楽ではないかと思います。これまでもいろいろ工夫してきました。春先、暖かい日があると思えばまた寒さがぶり返す季節になると“春は名のみの風の寒さや”の歌詞がぴったりの“早春賦”のオルゴールを聞かせます。しかしオルゴールはわずか数分間同じメロディーを繰り返して沈黙します。CDも40分ほどで終わります。

 ところが最近家のインターネット環境を光回線に変え、家庭内でWi-Fiがどこでも複数の機器で使用できるようになって一挙に音楽がある生活が豊かになりました。古いスマホを母の枕元におき文部省唱歌や琴の名曲を思う存分流すことができるようになったのです。

 “さくら貝の歌”、“下町の太陽”の倍賞千恵子が残した100曲もの美しい日本の歌曲がこんなにも簡単に、しかもそれなりに高音質で聞けるなんて、本当に母がまだ生きているうちに毎日聞かせてあげられるようになったことに私自身大変な喜びをかみしめています。唱歌ほど日本人に故郷を思わす歌のジャンルはありません。たとえば「故郷の廃家」。

 もともとアメリカの曲ですが犬童球渓(いんどう・きゅうけい/1884-1943)の訳詞がすばらしいです。

 「幾年ふるさと来てみれば
咲く花鳴く鳥そよぐ風 ……
あれたる我家に住む人絶えてなく」

 終戦直後両親が力を合わせて建てたこの家で父は長い生涯を終えました。やがて母も父のもとにいったらこの家は文字通り私にとって故郷の廃家になるでしょう。でも歌があれば両親と兄、愛犬のクロがいた楽しかった時代の我が家はいつでもよみがえるでしょう。

 箏曲の宮城道雄も母のお気に入りでした。“春の海”の箏(そう)と尺八のなんとも天国的な美しい調べに母が「私はいつの間に天国に来てしまったの?」と勘違いしないか、心配ではありますが。

本誌:2016年5.30号 17ページ

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