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老成

 子ども時代。毎日学校へ通い、宿題をやり、夏休みは目いっぱい外で遊んでいました。そうした日常生活において時間や空間は確固としたものであり、目にするもの手に触れるものはすべてリアルそのものでした。例外は夜中に見る夢ぐらいのもので、ちゃんと目が覚めたら現実の世界にすぐ引き戻されました。

 ところが最近よく奇妙な感覚にとらわれるようになりました。旅先で初めて訪れた場所に立ったとき、「ここは昔来たことがある」、「この絵は初めて見ているのに、以前にも見たことがあり、更に以前にも見たことがあると感じた、と感じた……」と際限なく思うことが時々あります。

 心理学でいうところの既視感(デジャヴュ)でこの用語自体は日常的にもよくお目にかかります。逆に実際は見聞きして知っているはずのことを生まれて初めて経験することのように感じてしまうことを未視感(ジャメヴュ)といいますが、こちらはデジャヴュほど使われません。見慣れたことを忘れるのは普通にある現象ですし、年を取れば自然に物忘れするようになりますから。

 私がこのごろ感じるようになった奇妙な感覚はデジャヴュ系統のほかに、現実の中にありながら現実感が希薄に感じられる種類のものもあります。心理学でいう離人症に近いような気がします。

 たとえば、牛窓のてれやカフェで店主のヒロシ君がいれてくれるコーヒーを確かに飲んでいるのに現実感が完璧ではないのです。20%ぐらいは“他人事”のような変な感じ。もっともちゃんとコーヒーの代金を払って帰るので現実の行動であることは確かなのですが。

 さまざまな現実感を喪失していく精神現象が人生の早い時期から強く出現したら病気という範疇に入れられてしまうところですが、退職年金をもらうような年齢になるともはやこれは病気ではなく加齢に伴う衰え、はっきり言えばボケの初期現象として誰も気にとめません。

 むしろ肉体と魂の強固な結びつきが緩んでくることはある意味“老成”と評価されます。でも魂が本格的に肉体から離れてフラフラどこかへ遊びに行ってしまうようになるとこれは困ります。精神が肉体から適度に自由になってきた今が人生で一番楽しい時期かもしれません。

本誌:2015年3.16号 16ページ

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