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巨大隕石落下

 杞憂:“ありもしないことを取り越し苦労する”という意味で古来決まり文句として使われてきました。古代中国の「杞」の国の男が、天が落ちてきたり、大地が崩れたりしないか、と夜も寝られず食事も喉を通らないほど心配していた故事によるものです。(列子)

 しかし、先日のロシアの隕石落下事件のすさまじい映像を見ているとだれも杞の国の男を笑うことはできません。今回落ちてきたのは直径17mもあったにもかかわらず空中で割れたから被害はあの程度でしたが、6500万年前にメキシコのユカタン半島に落ちた小惑星は直径が10~15㎞あり、発生した津波は300mあったと推測されています。

 その破壊エネルギーは広島型原爆の10億倍にも達し、空に舞い上がった粉塵によって大規模な気候変動が生じ、その結果恐竜が滅びたことはほぼ定説になっています。

 巨大隕石の落下、あるいは小惑星の衝突はめったにないこととはいえ、いったん落ちたら「種」そのものが滅びてしまうところに本当の怖さがあります。人間は極度に知能を発達させたおかげで、宇宙の始まりから終わりまでイメージとして描くことができるようになりました。しかも単なる空想ではなく素粒子の研究と高性能の望遠鏡による宇宙観測の結果、描いたイメージがどうやら本物であることも証明されています。

 しかし、長い宇宙の一生のどのあたりで人類は滅亡するのでしょうか。宇宙のスケールで見ると人類が存在した時間なんてほんの一瞬かもしれません。「そのとき」がきたら最後、これまで人類が共有してきたいっさいの記録、記憶、その痕跡も永遠に消滅します。認識の主体が存在しなくなることは認識の対象も存在しないと同じことですから。

 突然ロシアの天空を引き裂いて落ちてきた隕石によって、いままで神話として語られ、科学として探求され、しばしばSFとして語られ、果てはパラノイアとして語られてきた宇宙と地球ののっぴきならない関係、人類もやがては地球とともに滅びるであろうことがにわかに現実味をおびてきました。

 1000年に1度の東北地震が現実に起き30mの津波に襲われた日本です、富士山の噴火ももはや杞憂だなどと言っておれません。

本誌:2013年3.4号 12ページ

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