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連載記事

愛車とともに20年

 20年前に買った我が愛車、日産パルサーX1Rは長い年月のうちにいろいろな事件に遭遇し、時代の変遷を見てきました。前年(1991)に火山が大爆発を起こし火砕流が多数の人々の命をのみこんだ長崎県・雲仙普賢岳を見に行ったのが最初の長距離ドライブでした。

 学生時代に免許を取っていましたがそれまでもっぱらオートバイを愛好してきて、車に乗りだしたのは四十も半ば近くなってからのことでした。島原のビジネスホテルに泊まったものの翌朝狭い駐車場から出られず、ホテルの従業員に車を道路まで出してもらうという情けないペーパードライバー卒業旅行でした。

 阪神大震災(1995)の朝、神戸市東灘区の学生マンションに住んでいた姪の救出に水や食料を積み込んで大阪から神戸に出かけたのもこの車です。往路は1時間で行けたのに帰路は神戸脱出の車や救援の車で国道2号線も43号線も未曾有の大渋滞。時速100mという気の遠くなるような時間の中で倒壊し炎上する神戸の地獄図絵を見ていました。

 神戸連続児童殺傷事件(1997)、いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件が起きたときは、何事も現場で考えたいと思い、男児の首が置かれた友が丘中学校まで行きました。おびただしい数の警官が警戒しているなか“なにわ”ナンバーでは怪しすぎ、校門前に車を停止させるわけにいかず、中学校の周りを2、3周走行しながら現場の雰囲気を把握しようとしたものです。

 楽しい思い出もいっぱいありました。大学で働いていたので週末ごとに暇な学生を誘っては紀伊半島の山中に出かけて山登りしたり温泉に浸かったり。この車によってドライブの楽しさを知った私は狭い日本に飽きたらず何度も長期の休みを取ってはアメリカ、カナダ、ハワイでのロングドライブを満喫しました。

 ラスベガスからイエローストーン公園、モンタナの氷河を超えてカナダに入りカルガリーからカナディアンロッキーを超えて太平洋岸の町バンクーバーに出、再びアメリカのシアトルで車を返すまで5000㎞のドライブをしたこともあります。

 大阪を離れ岡山に帰った今も“なにわ”ナンバーで岡山の町を走っています。走行距離28万㎞。ボディは傷だらけ。最近タイヤを新品に取り替えたので次は38万㎞(地球から月まで)を目指そうと思います。

本誌:2012年6.25号 18ページ

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