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父との生活(2)

 先日、父(94)がちょっと元気をなくしていたので「お父さん、120歳まで生きるはずなのに、涅槃の境地のような顔をしていてはだめじゃないですか」と激励しました。すると父は「120まで生きて、息子の葬式を見るのはつらいからのう」と言い返してきました。

 からかったつもりなのにまたしても父に逆襲されて本当に腹がたちます。自分の死は断固拒否しているくせに、息子はきっと90歳にもならないうちに死ぬと思っているのです。最晩年になった今も明晰な頭脳を誇っているそんな父ながら、このごろ理解に苦しむことをしつこく訴えるようになってきました。

 夕食後、30分もしないうちに「もう寝る」と言ってベッドに横になるのですが、しばらくすると「寝かせてくれ、ベッドに横にしてくれ!」と私に懇願。「お父さん、すでにベッドに入って寝ている人間をいったいどうやってさらに寝かせろっていうの?」と言うと、「理屈じゃないんじゃ、ええから寝かせてくれー」とつらそうに言います。

 また、午睡から覚めた父が40年近く前に亡くなった自分の長兄の名を呼ぶことがよくあります。「兄さん、起こしてくれー、兄さーん、兄さんが台所におるのは影で分かっとる」。

 父の夕食を作りながら私は声色を使って、「わしの名前を呼び続けるのはスミオか? やっとこっちへ来る気になったか」と応戦。「お父さん、死んだ人の名前を呼び続けるのは危険ですよ。本当に呼びにきたらどうするの、そういえばさっき伯父さんが玄関口に立っていたなあ」とおどしたら急に現実に返って「そうじゃのう」と言うのですが、翌日にはまた伯父の名を呼んでいます。

 父は理性ではあの世など全然認めていないのですが、入眠時や起き抜けの意識がぼうっとしたときには、あたかも霊魂の世界が現実とすぐ隣り合わせにあるかのような言動を繰り返します。最近、父の不条理な訴え、「寝かせてくれー」の本当の意味が分かってきました。

 「眠られない」という不眠の訴えなら弱い睡眠薬で間にあうことです。しかし「寝かせてくれー」はそういう身体生理学的意味を超越して、人生においてなすべきことを余すところなくなし終えた人の魂が発する叫び声ではないか、永遠の休息を求めた……。そんな気がするのです。

本誌:2012年4.2号 10ページ

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