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父との攻防

 腎不全で12年ほど前から人工透析を受けている父は誕生日を迎えれば92歳になります。つい数年前まで自分で車を運転して通院していたのですが、免許証を返上してからは介護タクシーのお世話になり、最近では私と兄が交替で送り迎えしています。

 ところが透析も10年を過ぎるとさすがの父も病院に行くのがひどく苦痛になってきたのか、朝ヘルパーさんの力を借りて出発の準備ができてもなかなか出掛けようとしなくなりました。

 登校拒否のだだっ子と同じで、おだてたり、なだめたり、すかしたり。しだいに私のヒステリーも脅迫めいたものになってきます。

 「お父さん、透析に行かなんだら尿毒症を起こしてあさってぐらいには葬式せんとおえんが…せーでもええんかな?」

 「ひでえこと言うのぅ」と怒っているから行く気になったのかと思いきや、またベッドに横たわってしまう。私は「もう放っとけ!」と自分に言い聞かせて、自分の仕事に取りかかってみるものの、すぐにいてもたってもいられなくなくなり、また父のところへ行って「ほんまにどうすんでえ。行きとうねえんなら行かんでもええけぇ」などと怒鳴ってみる。無反応。

 いったい父はどんな気持ちで息子の罵声を聞いているのかと思って顔をのぞいてみると、これが本当に腹立たしい。何と薄ら笑いを浮かべながら細目を開けて私を観察しているのです!

 私が「勝手にせえ」と怒りまくっていても結局は父を見捨てることができず、「お願いですから病院へ行ってください」と懇願せざるをえない結果になることを、まるで楽しんでいるように思え、私は毎度毎度深い敗北感にとらわれます。

 私だって毎日日本のどこかで起きている介護疲れによる家族間病理現象と無縁ではありません。しかしながら、自我丸出しで親子で繰り広げている不毛なバトルは、ある意味、本当の親子にしか演じられない悲劇であり元々エディプスコンプレックスに支配されている父・息子にあっては“正常な”親子関係であるような気もします。

 悲劇ではあってもやがてはハッピーエンドになることを信じているのですが…

本誌:2009年3.2号 16ページ

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