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連載記事スローライフ~午後4時の窓辺から~

水道の思い出

 元日に能登半島を襲った地震の被害規模は当初推定されたものよりはるかに大きく、半月が経過した現在も広範囲の被災地で住民が不自由な避難生活を送っています。テレビの報道では被災者にとって何が一番困るかと問われると、皆さん異口同音にいつまで待っても復旧しない水道を何とかしてくれと訴えています。

 水道と言えば、岡山市南区山田にある我が家の辺りに水道が敷設されたのは昭和20年代の終わりごろ、私がまだ幼稚園児だったころのことです。それまでは煮炊き、掃除洗濯、風呂まですべて庭の井戸から汲み上げていたものです。母にとっては大変な重労働でした。

 水道敷設工事は北区庭瀬から南区妹尾方面に向かって進んでいきました。重機もなかった時代、大勢の作業員が投入されてつるはしやスコップで道路の真ん中を掘削し太い水道本管が埋設されていくのを私は飽くことなく見物していました。70年前のことです。我が家の横の道が掘り返されたのはちょうど梅雨のシーズンで、雨が溝に溜まりカエルが住処にしていた光景を今でもよく覚えています。そしていよいよ各戸に水道水が届く日がやってきました。

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本誌:2024年1月29日号 15ページ

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