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連載記事杉山慎策の経営学考察

明治維新とその後の日本

 明治維新から155年間に日本が関わった大きな戦争は6回ある。ロシアによるウクライナへの侵攻をみるにつけ、VUCAの時代においては紛争に簡単に巻き込まれる可能性がある。朝鮮戦争(1950-1953:休戦中)やベトナム戦争(1960-1975)に巻き込まれる可能性は高かった。湾岸戦争(1990-1991)では多額の資金協力をしたが、世界から評価されることはなかった。幸いこれらの戦争に直接関わり死者を出すことはなかった。日本は戦後とは第二次世界大戦後を意味する世界で珍しい国である。

 再度明治以降の日本が巻き込まれた戦争をみておこう。明治維新は徳川慶喜の英断により1万2000人程度の犠牲者で封建時代を終え、近代化に踏み出すことができた。1789年のフランス革命では200万人を超える死者が出たと言われているのに対し少ないと言える。徳川慶喜が謹慎せず戦うことを選択していれば内戦はもっと長引き、英仏両国の代理戦争のような状況になっていたことは想像に難くない。西郷隆盛などの不平士族と明治の新政府との戦いも1万5000人程度の犠牲者で終結し、内乱に終止符を打った。

 その後日本は朝鮮半島の内乱に関わり朝鮮半島の支配権を主張する清との間で戦争となった。幸いに日清戦争も犠牲者は1万3800人程度に収まり、日本は台湾、澎湖諸島、遼東半島を獲得した。しかし、三国(ロシア、ドイツ、フランス)干渉の結果遼東半島は返還することとなった。また、中国が支配していた朝鮮半島については李氏朝鮮の独立を認めさせた。

 日露戦争は満州や朝鮮半島の領有権をめぐり南下政策を進めるロシアとの戦いであった。この戦いでは10万人を超える多くの犠牲者を出すことになった。日露戦争で思い出されるのは「脚気」についての髙木兼寛と森鴎外との論争である。犠牲者の内「脚気」による死者数は2万7000人と推定されている。そのほぼ全ては陸軍の兵士であった。約四分の一の死者は「脚気」が原因で亡くなっている。

 また、この戦争は近代戦争に移行しており、騎兵部隊に代わり機関銃が戦場での主役となった。日本はこの戦争に勝利することで、遼東半島の租借権の獲得、東清鉄道及び朝鮮半島の監督権を得た。1902年に結んでいた日英同盟により日本はイギリスのインド支配を認め、イギリスは日本の朝鮮半島支配を認めた。

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本誌:2023年3月6日号 17ページ

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