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連載記事スローライフ~午後4時の窓辺から~

カナダの従兄「ジム」

 大正6年生まれの父は5人兄弟の末っ子でした。そのうち次男(私の伯父)と姉(伯母)の2人は戦前のカナダに移民し、それぞれ家庭を持ちました。勤勉な伯父や伯母の家族は当初、温暖な気候のバンクーバー近郊で平和に暮らしていたのですが、太平洋戦争が激化してきたころ敵国人として強制収容所に入れられ大変な苦労をしました。そして冬場マイナス20度になるアルバータ州の僻地に強制移住させられました。伯父や伯母はいわばカナダの暗黒の歴史の生き証人のような存在でした。

 父によれば若き日の伯母は琴が上手な聡明な人だったそうです。伯母には「ジム」という一人息子がいて、彼は伯父の子どもたちと仲良くアルバータ州の新天地で育ちました。ジム少年は計算や数学が得意だったそうで、高校を卒業したあと生涯、電設工事の仕事をしていました。

 伯母はジムがまだ中学生のころ乳がんで早世しました。従姉たちによれば、ジムの母親は常日頃息子にお金を大切にすること、無駄をしないことを言い聞かせてきたので、ジムは大変な倹約家に育ち、結婚もせず、株でコンスタントに稼ぎ、伯父の子どもたちと慎ましく、仲良く暮らしてきたそうです。

 晩年になると人生を楽しむことにも目覚めたみたいで、昨年の11月には従姉たち夫婦4人とともにダイヤモンドプリンセス号のクルーズで鳥取の境港にやってきました。出迎えに行くと何とジムは白人のガールフレンドを連れてきているではありませんか!やせ形のジムの3倍はありそうな白人の彼女、バーバラ。

 私の中古ステーションワゴンに6人を詰め込んで松江城や宍道湖を見てまわったのですが、巨体のバーバラが石段を上がるのにも苦労していたのに比べジムはひょいひょいと登っていました。

 たった半年前はそのように元気だったジムですが、今年になって食が細り肺の機能が低下し、ついに8月下旬、永眠したと従姉が知らせてきました。コロナによる制約もあり家族だけで小さな葬式をするからお前も見てとのこと。何とネットでライブ中継するサービスがあるのです。お悔やみのメッセージも書き込めます。そして従姉が書いたメッセージを読んでジムの名が「ジェームズ・ハジメ・オカ」であることを初めて知りました。88歳でした。

本誌:2020年9月14日号 12ページ

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