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サントリーのストーリー

 1899年鳥井信治郎が日本の洋酒文化を切り開く目的で鳥井商店(1921年に株式会社寿屋に発展)を開業した。取り組んだ事業は葡萄酒の輸入販売であった。その後1907年には自社ブランド「赤玉ポートワイン」の発売に漕ぎ着けた。魅力的女性のポスターで有名な商品である。その後本格的にウイスキーの生産に乗り出した。NHKの朝ドラ「マッサン」でも取り上げられたエピソードである。1937年には国産初のウイスキー「サントリーウイスキー角瓶」を発売した。1963年にはサントリーはビールへの挑戦も開始する。サントリーの歴史は「やってみなはれ」に代表される挑戦の連続である。(サントリーのHPによる)

 お酒、焼酎などしかない明治初期の時代に葡萄酒を販売するというのはかなり時代に先行した動きである。日本でワインが定着するのはずっと後のことになる。酒類全体の中でワインが1%を超えるのは1984年である。ウイスキーはアルコール度数が高いために一部の愛好者を除いて国内では爆発的な売り上げにはなっていない。1984年をピークに下降傾向であるが、「マッサン」の影響で近年盛り返しつつある。筆者の学生時代には酔っぱらうためにウイスキーをコークで割って飲んでいた。1961年の山口瞳の「トリスを飲んでハワイに行こう」や開高健の「人間らしくやりたいナ」などサントリーは宣伝が素晴らしく上手な会社であった。(国税庁の酒のしおり、及びメルシャンの資料による)

 2005年から「水と生きるSUNTOY」をコーポレートスローガンに掲げるサントリーはコープレート・ヴァリューとして、①チャレンジ精神「やってみなはれ」、②社会との共生「利益三分主義」、③「自然との共生」を掲げている。①のチャレンジ精神はサントリーの創業以来のイノベーションの歴史が物語っている通りである。②の「利益三分主義」とは事業で得た利益を「お得意先へのサービス」「社会への貢献」「事業への再投資」の3つに還元することを言う。カラヤンが「音の宝石箱」と呼んだサントリーホールは正にこの考えのもとで開設された。③の「自然との共生」は自然を大切にするという考え方を表している。国産ウイスキーの製造の適地を探し山崎の地に蒸溜所を建設した。その後、白州の蒸溜所を建設したが、日本全国を捜し歩いた挙句に白州を見つけたとサントリーの元ブレンダーから話を聞いたことがある。筆者などはサントリーの連想はワイン、ウイスキー、ビールなどであるが、最近の若い学生に聞くと「水」という回答が多い。2005年からのキャンペーンが浸透してきていると考えられる。

 サントリーは多角化にも取り組んでいる。1919年に試験所を開設1943年に研究所として独立の部門となった。1973年には中央研究所となる。中でもサントリーの研究所の名前を高めたのが不可能と言われていた青色のバラである。2009年から「SUNTORY blue rose APPLAUSE」として販売されている。飲料、健康食品、サプリメントや化粧品なども開発している。

 グローバル化は80年に米ペプシコーラのボトリング会社、ペムコム買収を皮切りに国際化を進めてきた。2008年ニュージーランドのフルコア(750億円)に次ぎ、翌年にフランスのオランジーナ(3000億円)を買収した。2014年に1兆6500億円を投じて世界第4位のスピリッツメーカー、米ビームを傘下に収めた。加えて、2016年にイギリスのグラクソ・スミスクラインの飲料事業(2100億円)を買収した。この10年間に2兆2000億円超の投資を行ったことになる。(フォーブズ2016年8月17日の記事による)

 酒類メーカーには大きく二つのグローバル戦略の成功モデルがある。一つはLVMHグループである。傘下にバッグのルイヴィトン等と併せてシャンパンのドンペリやブランディーのヘネシーなどグローバルブランドをポートフォリオで展開する戦略である。もう一つはアンハイザー・ブッシュ・インベブのようにビール事業に特化して世界展開する戦略である。ミラー、バドワイザーなど世界の有名ビールブランドを傘下に置き、世界シェアの30%強、利益に至っては60%を占めている。サントリーは積極的M&A戦略で、オランジーナ、ビームなどの有力ブランドを傘下に収めた。これからはこれらのブランドを生かし如何に企業価値を最大化するかが課題である。新浪社長の手腕が問われるところである。

本誌:2017年7.3号 21ページ

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