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文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(上)

 瀬戸内市牛窓在住の文芸学者西郷竹彦先生が97歳の生涯を終えられたことを新聞報道で知りました。一生を通じて精神が老いることなく、ここ数カ月病床にありながらも新しい本の執筆に情熱を燃やしておられたさなかの訃報でした。

 西郷先生の名は日本での文芸学という学問領域にあってはまさにカリスマ的存在で、特に初等、中等教育界で先生の名前を知らない人はいないと言っても過言ではありません。そんなすごい方がたまたま岡山のしかも牛窓という海辺の小さな町で晩年を過ごされたおかげで、私も直接先生の講義に親しく加わる幸運に恵まれることができました。

 数年前、90歳を過ぎた先生は地元の人々を対象に「てれやカフェ」という喫茶店で、夏目漱石、宮沢賢治、森鴎外、石川啄木等の作品を通じて文芸学の理論を精力的に説いてくださいました。とてもエキサイティングな学問体験でした。(その様子は山陽新聞文化部の取材記事として2011年4月21日、22日、24日の3回に分けて掲載)。

 1920年、鹿児島生まれの先生の生涯は波乱に満ちたものだったようです。幼いころに両親をなくされ、土方をしながら苦学、東京大学で応用物理学を専攻。卒業後まもなく兵役、ソ連で抑留生活を余儀なくされたといいます。戦後生まれの我々からは想像もできない青春時代です。

 しかし先生はそんな境遇をものともしません。ソ連での抑留生活では多くの日本兵が強制労働と栄養失調、極度のストレスと極寒の気候に命を落とし、2度と日本の土を踏むことなく死んでいきました。ところが先生は語学の才能を生かし、モスクワ東洋大学日本学部講師に採用され日本文化と日本文学を教え、1949年に帰国してからはロシア児童文学の翻訳を手がけ、その後文芸教育の理論的支柱になるのです。

 どうやら恐怖のソ連抑留生活もイケメン、インテリ、薩摩隼人の先生にとってはモテモテで全然悪くなかっようです。どんな境遇でもそれこそはやり言葉でいう自己実現を果たす能力が生まれながら身についていたのでしょう。先生のリビドー(本能のエネルギー)は生涯減衰することがありませんでした。次回は少しばかり先生の人柄をしのぶエピソードをご紹介しようと思います。(続く)

本誌:2017年6.26号 14ページ

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