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連載記事

物忘れを超えて

 山陽新聞のちまた欄に「物忘れは知識多いせいか」というなかなか含蓄ある投稿が掲載されていました(2011.10.12)。

 78歳になる筆者、片山さんによると、歳をとって物忘れがひどくなるのは果たして単純に老化現象と言ってしまっていいものか、長い人生でため込んだ知識が膨大すぎて取り出すのに手間取っているだけではないか、その点若者がすっと答えを出すのは失礼ながら知識のストックが少ないから、だと理屈をつけておられます。

 これを読んで私は自分に当てはめて納得すると同時に最近のパソコンがまさにこれといった気がしました。数百ギガバイトのハードディスクにため込んだ雑多なデータから必要なものを取り出そうとするとパソコンは熱を出して動かなくなったり、頼みもしないのに勝手に通信回線を通じて外部と連絡を取り合って広告を割り込ませたり、セキュリティーに問題があるなどと指摘してきて肝心の仕事はちっともはかどりません。

 30年前、パソコンがとても若かったころ彼らは本当に自分の手足のように忠実に働いてくれました。今のパソコンがまるでパソコン自身に意思があり、人格を獲得したかのように勝手なふるまいをして持ち主の気分を害するのとは大違いです。

 しかし機械も人も歳をとっていきます。パソコンが制御不能なデータで身動きならなくなってきたように私自身歳月とともに脳に刻んだ膨大な知識を生活に生かすために取り出すことが難しくなってきました。そればかりか古くて役にたたない知識でいっぱいになった脳は新たな知識が進入してくることを頑強に拒み老化は確実に進行していきます。

 老化というのっぴきならない事態にどう対処したらいいのか、それが問題。ひとつにはガラクタ知識を捨てること。脳の奥深くにこびりついている記憶や概念を捨てるのは簡単ではないかもしれません。しかし少なくとも「自分は何も知らない、これは初めて体験することだ」という意識を持つことによって既知のことも未知のこととして感動できるようになるのではないでしょうか。

 もうひとつは実際に未知の国を訪ね未知の人々に出会うこと。私にはこれが一番性に合っています。過去を捨て旅に出ること。遅くなり過ぎないうちに、と思います。

本誌:2011年10.24号 12ページ

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