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有能な弁護士とは

 松本清張生誕100周年記念作品「霧の旗」という2時間ドラマをテレビで見て久しぶりに興奮しました。

 主演はテレビドラマ初出演の市川海老蔵。降りしきる雨の中、土下座し汚泥に額をこすりつけながら、女に証拠品のライターを渡してくれるよう懇願するシーンは圧巻でした。

 さすがは当代きっての梨園のプリンス、下手をすればクサくなる場面を海老蔵は何のためらいもなく完璧にやってみせてくれました。

 ドラマは、冤罪事件を2度まで勝ち取った敏腕弁護士のところに「冤罪で獄中にいる兄を助けて」と女が押し掛け、すげなく断られるところから始まります。

 貧しい自分たちのために動こうとしなかった弁護士に対する女の憎悪と復讐劇。社会派清張の作品らしく有能弁護士は泥にまみれ、ひたすら転落していきます。

 しかし女の依頼を拒否した海老蔵・弁護士のスタンスは横柄で間違っていたのでしょうか。

 そもそも弁護士とは社会正義の実現を目指し、他人の救済のために働くべき存在なのか。三島由紀夫は『暁の寺』の中で弁護士、本田が弁護士として成功した理由を次のように書いています。

 「他人の救済ということを信じなくなってから、彼は却って弁護士として有能になった。情熱を持たなくなってから、他人の救済に次々と成功を納めた。民事であれ、刑事であれ、富裕な依頼人でなければ引受けなくなった」(新潮文庫版21㌻)と。

 そして「弁護士に報酬も払えないような人間に法を犯す資格はない」(同)とまで言い切っています。

 そう、弁護士とは貧乏人が気軽に依頼するような存在ではないのです。私も何かことがあったら最後は弁護士に相談しようなどと甘く考えていました。しかし私には三島の言葉通り、犯罪を犯す資格もないし相続争いなどトラブルを起こす資格はありません。

 私には清張の人間学より三島の現実的なアドバイスの方がありがたいです。

本誌:2010年3.29号 14ページ

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