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プレイバックpart2

 在宅で介護を受けている母のもとには入れ替わり立ち替わり、ヘルパー、訪問看護師が訪ねて来てケアに当たってくれています。そのおかげもあって、おおむね元気に毎日を過ごしています。

 ところが年に一回、主治医、ヘルパー派遣業者、訪問看護センターと家族の4者による懇談会があるのですが、その場で、ヘルパー派遣業者が驚くべきことを言うのです。

 「痴呆が進行し、食事に手間がかかる、食べ物が気管に入って肺炎にならないか心配・・」と、まるで今にも死にそうな重篤な患者でも看ているような調子でしゃべりだす。すると医師もそれにあわせて、「栄養を確保するにはチューブを挿入するか、胃に穴を開けて・・」とエスカレートするのです。

 ところが実際の母は食事もちゃんと食べるし、貧血、誤嚥もなく、何より私にとっては精神的にも頼りがいのある存在です。痴呆というのは記憶に障害があるだけで、判断力、倫理観、嗜好、感情などはまったく衰えてないばかりか、ある意味では非常に鋭敏になっていることに驚かされます。

 思わず私は感情をあらわにして抗議。「皆さんにとっては何の価値もない手がかかるだけの痴呆症のおばあさんかもしれないけど、私にとっては生きていてくれるだけで十分、問題など何一つありません!」

 ちょっと待って今の言葉、プレイバック、プレイバック。 

 中学生のとき、父兄会の面談で担任の教師から、低空飛行する私の成績に言及された母は「いいえ、息子は大きな手術をして命拾いした身体、生きていさえすれば十分で勉強など二の次です!」と言い返したそうです。

 担任の先生は返す言葉もなかった、と家に帰って私に楽しそうに語りました。母は自分も教師として成績至上主義の校風に一矢むくいるチャンスを狙っていたのかもしれません。40年を経た今、今度は親子で役者を交替し、理不尽な社会に異議を唱えているような気がします。

本誌:2004年12.1号 16ページ

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