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連載記事杉山慎策の経営学考察

山内容堂9

 将軍慶喜の説得により兵庫開港と長州征伐について二昼夜に渡る議論の後に幕府と朝廷との間で決着をみた。しかし、内実は朝廷も、そして、薩摩・越前・伊予・土佐の諸侯も分裂したままであった。容堂は会議の前途に絶望し、病気を理由に土佐に戻った。

 乾退助(いぬい・たいすけ)は中岡慎太郎(なかおか・しんたろう)と共に小松帯刀や西郷隆盛(さいごう・たかもり)などと会談し、薩土の密約を結ぶに至った。乾は土佐に戻り、容堂に「今日もし決するところがなければ、他日馬を薩長の門につなぐことになるかも知れず」と決意を迫った。

 一方、後藤象二郎(ごとう・しょうじろう)は坂本竜馬(さかもと・りょうま)と計り、薩摩の小松帯刀・西郷隆盛・大久保一蔵(おおくぼ・いちぞう)などと協議し、討幕の密約を結んだ。密約については鹿児島県歴史資料センター黎明館に大久保一蔵の自筆の原本が残っている。この薩土会談で、後藤象二郎が提出した土佐案の骨子は次の4か条であった。

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本誌:2022年5月16日号 21ページ

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