WEB VISION OKAYAMA

連載記事杉山慎策の経営学考察

島津斉彬4

 薩摩から欧州に派遣された人材は、帰国後集成館紡績工場の建設・運営、造船をはじめ日本建国の礎となる産業革命の主役となって活躍することになる。

 家臣に対し斉彬は「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり、退屈せずますます研究すべし」と励ました。幾多の苦労の末に反射炉を完成させた。日本では当時佐賀の鍋島藩だけに反射炉が建設されていた。

 江戸時代一つの藩は恰も独立国家のような運営がされており、人材も自前で育成する必要があった。今日の地方創生も結局地元で活躍する人材を自前で育成し、地元で活躍する場を提供する必要がある。地域にある国立大学や私立大学を大切にして地域のための人材を育成すべきである。

会員申し込みはこちらから

本誌:2021年3月1日号 19ページ

PAGETOP