WEB VISION OKAYAMA

連載記事

遺稿整理

 2001年4月に始まった長い介護生活がついに終わりました。大阪での公務員生活を53歳で断念し介護に専念した期間がまる15年、それ以前も週末ごとに岡山に帰っては親の生活を助け、通院に付き添う日々が数年ありました。結局私は40代の終わりから70に手が届きそうな今日までずっと親に関わって生きてきたことになります。

 そんなにも長期間を両親と過ごしたにも関わらず、私が物心つく前の両親がどこで何をし、何を思って若き日々を過ごしていたのかについては、本当におぼろげながらにしか分かりません。2年前に父が96歳でなくなり、先日母も97歳でこの世を去り、いよいよ両親が遺したものを整理しなくてはならなくなりました。今それをしてあげなかったら永久にできない気がします。

 親が着ていたパジャマでさえ簡単に捨てる気にならないのですが、逆にこれだけはどうしてもきちんと残してあげたいものがあります。それは母がまだ独身だったころのエッセイや日記の類です。父も晩年にいたるまで村の歴史や思い出などを書き連ね、また独創的な詩を残しています。父はワープロで文集を作成し、簡易製本していたので、母の手書きの書き物を整理するのよりは楽です。

 両親についておおよそ分かっていることは、2人とも岡山師範学校(男子、女子)を卒業し、笠岡沖の北木島小学校に赴任していたとき出会い、後に結婚、兄と私の2人の子どもを生んだということです。

 しかし、昭和10年代から敗戦まで、日本の激動期に成人になった世代に属する両親の青春時代は波瀾万丈で一筋縄ではいきません。まずは両親の経歴、履歴を把握するところから手を着けなければなりません。

 とりわけ知的好奇心のかたまりだった母は北木島にいたかと思えば東京の学校で教えながら、帝大(東大)の夜間クラスに顔を出して著名な学者の講義を聴いたり、戦時下の日本でも激しく文学や芸術に対する情熱を燃やしていたようです。

 とりあえずは母の手書きの日記を活字にすることから遺稿整理を始めようと思います。若き日の母がどこで何を考え、何に苦しんでいたかを知ることはとりもなおさず、この先私が私に残された日々をいかに生き、何をなすべきか、よき道しるべになってくれるような気がします。

本誌:2016年9.19号 13ページ

PAGETOP