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母の弟(下)

 太平洋戦争の末期にフィリピンで戦死した叔父の人物像や人となりについて、戦後生まれの私には何の記憶も思い出もありません。しかし母が負った悲しみ、心の傷は母の最晩年に至る今も母を苦しめています。

 今回の国からの戦没者遺族に対する特別弔慰金の申請に当たって叔父の戸籍謄本を取り寄せて初めて、叔父がいつどこで死んだのか分かりました。戸籍謄本には「昭和20年6月30日時刻不明比島レイテ島カンギポット山において戦死」と記されています。

 太平洋戦争の天王山と言われたレイテ島の戦いは大変な人数の犠牲者を日米双方に出しました。8万4000人もの日本軍将兵が派遣されたのに捕虜になるなど生還できた人はわずか2500人だったそうです。叔父が亡くなった6月末は敗戦間近であり、叔父はぎりぎりまで筆舌に尽くしがたい過酷な状況の中で生きていたことが想像されます。

 母のもとに叔父から届いた一枚のはがきが残っています。証券会社で働いていた叔父はスポーツマンで明るい性格で人気者だったそうです。叔父のはがきに書かれた文字は流麗で、さりげなく家族を気遣う文面でした。遺骨も戻ってこなかった叔父の遺品といえばこのはがき以外何もなく母にとっても私にとってもこの上なく大切なものなのにそういうものに限って引き出しに無造作に入れたりしているうちに紛失してしまうものです。今探しても行方不明です。

 さて、特別弔慰金の請求を開始して分かったことですが、国からの“お見舞い”をいただくのに役所はどこまでハードルを高くすれば気がすむのかとあきれることばかりです。戸籍謄本は直系の尊属卑属にしか取れないという原則があり、新しい籍に移った兄弟姉妹の戸籍には手が届きません。具体的には母以外の兄弟姉妹9人の死亡年月日を申し立てしないといけないのですが、私にはそんなもの「みんなとっくに死にました」以外申し立てるすべがありません。

 国や自治体には年金受給記録、戸籍、住民票、死亡届などすべてのデータがまさにビッグデータとして完璧に存在しています。弔慰金を正しく支給するために必要な情報は国が職権で調べてくれてもよさそうなものです……。年取った遺族を苦しめる手続きの煩雑さは、まったく弔いにも慰めにもなりません。

本誌:2015年11.16号 19ページ

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