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三つ子の魂百まで

 穏やかな10月の週末、中学校卒業後50周年のホームカミング・デイの催しがありました。約250名の卒業生のうち30余名が参加しました。50年の歳月を隔てて初めて会う幼なじみもいました。

 昼間母校訪問と授業参観があり、夜は当時の恩師や現在の校長、副校長先生の臨席を仰いでパーティー、翌日はかつて臨海学校に行った香川県の豊島(てしま)再訪というなかなか凝ったイベントでした。後輩のために些少ながら寄付金目録を校長先生にお渡しするセレモニーもありましたが、やっと母校に少しは恩返しできたかなという気がしました。

 50年の歳月が我々にもたらしたもののうち、目につくものは外見のどうしようもない劣化です。では内面は劇的に変化したのかというと?

 官僚として頂点を極めた人、大学教授、社長、所長、院長などと“長”がつく人もいっぱいいてそれなりにみんな努力を重ね自己研鑽に励んできた半世紀であったことは確かです。しかし性格とか癖、雰囲気というものは少しも変わらないものですね。どなたも中学生のときのままでした。

 よくしゃべる人は今もよくしゃべる。気取ったやつは今もそのまま、気配りできる人は今でも気がききます。根性の悪いやつは今もその片鱗が残っている。数学ができなかった人は今も数字に弱い(私のこと)、音楽や美術が好きだった人は今も。

 つまりは50年の歳月をもってしても人間の内面は変えられない、言い換えれば人格を磨くことなんか無理。もし人格や性格、気質が別人のように変わる性質のものならその方が怖い気がします。底意地の悪かったA君が寛容で思いやりのある人格者になっていたらそれはもはや懐かしいA君ではありません。「あいつは相変わらずだなあ」とみんなに言わしめてこそ幼なじみというものでしょう。

 人格の諸要素のうち総じてネガティブなものはいくつになってもそのままのようです。そうであれば家庭や学校で子どもをあれこれ叱ったりけなしたりしても意味がありません。どうせ変わらないのならいい点を誉めるに限ります。

 嫌いなことを克服するために過度の努力をするよりも好きなことを極める方がよほど理にかなっている……そんな感慨にひたったホームカミング・デイでした。

本誌:2014年11.10号 14ページ

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