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織江の唄

 お盆のころ3日間両親の介護を兄に任せて九州北部を訪ねてドライブしてきました。筑豊、伊万里、唐津、平戸、佐世保、有田、吉野ヶ里遺跡と駆け足で巡ったのですが、中でも五木寛之の小説「青春の門:筑豊編」の舞台となったかつての炭坑の町、田川は印象深いところでした。

 今は田園風景が広がる田川ですが、田んぼの下には廃坑となった縦穴、横穴がモグラの巣のように広がっているそうです。三井田川鉱業所がそのままの形で「田川市立石炭・歴史博物館」になっていましたが、博物館がなければここが「筑豊」の中心地だったとは気付かないでしょう。

 「青春の門」の主題歌で五木寛之自身が作詞した「織江の唄」。山崎ハコの哀愁漂う、やや投げやりな声の調子に昭和30年代の筑豊の悲しみが余すところなく込められています。歌に出てくる遠賀川、ボタ山、カラス峠、田川、香春岳(かわらだけ)などが博物館のテラスから遠くに近くに手にとるように見えました。

 あまりに暗く、あまりに貧しく、あまりに悲しい昭和の物語です。いや炭坑の町、筑豊だけが貧しかったのではなく昭和という時代そのものが貧しかったのでしょうか? つい最近亡くなった日吉ミミは「恋人にふられたの、よくある話じゃないか…」と暗く歌っていたし、「十五、十六、十七と私の人生暗かった」と歌ったのは藤圭子(宇多田ヒカルの母)、「暗い目をしてすねていた弟よ」と歌ったのは内藤やす子。極めつけは「昭和枯れすすき」の「貧しさに負けた、いえ世間に負けた」でしょう。

 でも昭和という時代は本当にこれらの歌に歌われたように暗かったのかというと、実際は所得倍増政策がとられ、高度成長経済を謳歌した時代でした。すでに貧しさから脱却しつつある自信があったからこそ思いっきり暗い歌を歌えたのかもしれません。

 ところが東日本大震災後、いつまでも目に見えない不安が消えない放射能の影におびえる現代という時代にあって、はやり歌の歌詞を見ると「夢、希望、空、風、明日、未来、友達、勇気、力、信じる…」と歯の浮くような言葉のオンパレードです。皮肉にも現実が救いようのない時勢だから夢とか希望と歌っているのでしょう。今こそ暗い歌、悲しい歌、心に響く歌が欲しいと思います。

本誌:2011年8.29号 14ページ

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